まだ若い廃墟

七夕がすめば、お盆。
函館は七夕もお盆も7月です。
先週の唐牛健太郎墓参に続いて、きのうもお墓参りに船見町へ。
 
魚見坂から称名寺通り。
弥生小学校の仮校舎(旧西小学校)の前を通りました。
映画『海炭市叙景』のロケをここでしました。
元旦の日の出を見るため山に登る兄妹の子ども時代。
35日間の最終日の撮影はここでした。
運んでいった食事と共に待機して、クランクアップを待ちました。
2年前の3月のことです。
その仮校舎も、今は無人、
新しい弥生小学校が建設されて今年の1月からそちらへ引っ越したのです。
玄関前に草が生えていました。
 
お墓参りの帰りに、仮校舎の向かいの路地を入って、兄妹の家へ行ってみました。
ここにも昼食を持って来たことがあります。
幼いころ住んでいた住居の近くで驚きました。
高龍寺の煉瓦の高い塀が昔のままでした。
そのとき取材に来ていた日本経済新聞の記者さんがすばらしい記事を書いてくれました。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
ロケに使った家も無人のようでした。
当時も空き家で傷みがひどく、撮影前に実行委員の小田桐さんのお父さまたちが 修理してくれたのでした。
壁の蔦が屋根まで這っていました。
 

 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
高龍寺の境内は子どもの頃の遊び場でした。
鞠をついたり、かけまわったり。
年に何度か、仏画などを展示することがあり、地獄絵図の針山地獄が怖ろしかったです。
子どもながら、悪いことをしてはいけない、と心に銘じたものです。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
高龍寺の向かいには海が広がります。
道端のコスモスが汐風に揺れていました。
アジサイもキキョウもコスモスも一緒に咲く、
「そこのみにて光輝く」まちの夏です。
 

 
 
 

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