21・22日と小樽・札幌へ行って来ました。
小樽は実に21年ぶり。
今回は、小樽詩話会50周年記念の祝賀会参加のためでした。
小樽詩話会は、毎月2回の例会と月刊の詩誌『小樽詩話会』と年刊の記念誌を発行している、いま北海道の詩界でもっとも充実した活動をされている会です。
最初は3人で立ち上げた会が、今や購読会員を含めると117人という大所帯です。
それも、とりたてて会員を募っているわけではないのにです。
そのことだけでも、いかに、小樽詩話会が魅力的な会か、判ろうというものですね。
小樽以外の会員も増え、全国に拡散しても、初期の会の志や方針(単なる投稿誌にならないため月2回の例会での合評や勉強会開催など)を変えることなく続けられておられることに驚嘆します。
わたしの属する詩誌『游人』からも3人が参加しています。
『游人』は小さな同人誌ですが、細々とした活動ながら20年続けてこられたのも、萩原貢さんはじめ『小樽詩話会』の方々が常に励ましてくださったからなのです。
朝、発って午後、小樽に着きました。
駅前のホテルに入ったら、すでに游人同人でもある長屋のり子さんがロビーで待っててくれました。
ご夫君の恵一さんが車で市内を案内してくれるということで、まずは遅めの昼食を摂ることに。
夕方には売り切れ閉店するという人気ラーメン店「初代」へ。
お薦めは醤油ラーメン。しっかりした麺、濃厚なスープ、とろけるチャーシュー。 美味しゅうございました。
祝賀会まで少し時間があったので市内を案内してくれました。
運転席の恵一さんは、ロシア文学者・故 江川卓氏の愛弟子で、『風呂場(バスルーム)で読むドストエフスキー』という好著があります。
ご夫妻でかつて経営していた寿司店があった場所や、小林多喜二や伊藤整が上り下りした小樽商大への坂を巡ってくれました。
長い長い坂でした。
小樽も坂の街ですが、函館の坂とは違いました。
函館の坂は、山から海へまっすぐ走る坂ですが、小樽は丘陵地の坂です。短い急坂や長いカーブする坂なのでした。
長い坂をのぼる多喜二や整の青春や文学を想うひとときでした。
祝賀会は、記念朗読会と祝賀パーティの2部形式でした。
朗読者は、なんと30人! 小樽はもちろん釧路や岩見沢の道内勢に、埼玉・横須賀・名古屋からいらした方も。
小樽詩話会以外の詩人もたくさんお祝いに駆けつけていました。
『極光』の原子修さんや、先頃『蒐』創刊号を出された渡会やよひさん、北海道詩人協会長の綾部清隆さん。書ききれないほどたくさんの方。
祝賀会も、そのあとの二次会も楽しかったです。
今まで、お名前と作品しか知らなかった方々とご挨拶もできました。
久しぶりにお会いした高橋明子さんは、拙詩集『陸繋砂州』を褒めてくださり恐縮しました。
明子さんは、新聞にコラムを書いたり「あとりゑ・くれーる」というギャラリーを自営されている多才な方ですが、とても謙虚で優しい方です。『海炭市叙景』の時には「映画に育てられてきたから」と支援もしてくださいました。
その彼女と、50年前というと1963年ですね、わたしには忘れられない年ですと言う話をしました。明日観る映画の話も。
(そして、1963年は『ハンナ・アーレント』にも繋がる年なのですが、長くなりました、続きはまた。)
いただいた『小樽詩話会50周年Anthology』(頒価2500円)は、231頁の分厚さ。
会員皆さんの作品と、50年略記を、ゆっくり読ませてもらいます。