札幌シアターキノで『ハンナ・アーレント』を観ました。
前夜、シアターキノの市民株主でもある高橋明子さんから、混みそうだから少しでも早く行ったほうがいいとアドヴァイスをもらったと、小樽駅から札幌の友人に電話したら、急いで出てきてくれたので2時間前に受付。
それでもすでに7人の方がいらしていました。
待ち時間は映画館に併設されているキノカフェで、ランチをいただきながら友人とおしゃべり。
彼女もシアターキノで観た映画『書くことの重さ』や、小樽詩話会のこと、そこにかつて別名で詩を書いていた桜木紫乃さんのこと、などなど・・・
友人は以前、函館に住んでいて佐藤泰志とも面識があり、彼の死の直前、贈った詩集への礼状をもらっています。
国分寺の消印が切ない葉書には、原稿を編集者に渡したところですと書かれていました。
遺作となった「虹」(『文學界』掲載)だったのでしょうか。
その彼女から、手作りのプレゼントやカードをもらいました。
わたしからは、佐藤泰志役を演じた村上新悟さんのサイン入りパンフレットをお土産に持ってきてました。
時間になってシアターへ向かうと、すごい人の数! 座席の両側に並べられた補助席も埋まって超満員でした。
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『ハンナ・アーレント』(2012、ドイツ・ルクセンブルク・フランス、マルガレーテ・フォン・トロッタ監督)
◆映画は、一人の男が夜道で拉致されるところからはじまる。ナチス親衛隊で何百人ものユダヤ人を強制収容所に送ったアドルフ・アイヒマンが逃亡先のアルゼンチンでイスラエルの諜報部に逮捕されたのだ。アメリカに帰化しニューヨークで教鞭をとるドイツ系ユダヤ人の高名な哲学者ハンナ・アーレントは、そのアイヒマン裁判傍聴を希望し、レポートをザ・ニューヨーカー誌に掲載する。しかし、発売直後、彼女は世間や学内、長年の友人からも非難される。アイヒマンを養護するものだという理由で。しかし、彼女は裁判でみたアイヒマンの姿を事実として伝えたのだ。アイヒマンは、ユダヤ人が世界が予想(期待)していたような極悪人でも怪物でもなかった、組織の一員として無思考のまま任務を遂行しただけだ、と。
映画は、実際の裁判の映像(白黒)を挿んで、その間の周囲の反応、夫の発病、彼女の理解者である夫や女友達との会話、イスラエル政府からの使者による出版中止要請などを映してゆく。そして、非難への彼女の回答とも言うべき大学でのスピーチを終えた彼女に、親友ハンスは「今日でハイデガーの愛弟子とはお別れだ」と告げ去ってゆく。
◆観る前は、ハンナ・アーレントをどうやって撮っているんだろう、と思っていた。期待しつつ、そんなに期待してはいけないとも思っていた。でも、期待以上だった。ハンナを演じたバルバラ・スコヴァは見事だった。そして、親友のメアリーの人物造型もすてきだった。このメアリーのハンナへの理解・共感・支援に、監督の意思を感じた。
そして、この映画は、この問題がユダヤ人とナチスの問題だけではないことを示唆している。
どこの国でも、どの民族でも、起こりうることなのだ。
先日、旧日本軍が沖縄でしてきた残虐行為と、その命令者の戦後のインタビューをTVで観た。アイヒマンと同じ主張をしていた。この国でも、平凡な人間が残虐な行為を戦時下で行っていた。まさに「悪の陳腐さ」、「凡庸な悪」であった。
ハンナが教室で学生たちに伝えた言葉が胸に残る。
「私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても、考え抜くことで破滅にいたらぬよう。」
実際、ハンナは考えることで生き抜いてきた。このレポートを書くのに、彼女は2年を要している。1960年にアイヒマンは逮捕され、裁判は’61年、死刑執行が’62年。ザ・ニューヨーカー誌に掲載したのは1963年だ。途中、夫の発病・看護もあったとはいえ、ここまで時間を要したのは、彼女自身の戸惑いや逡巡があったからに違いない。しかし、そこで逃げたり曲げたり投げ出したりせずに考え抜いた。映画は、寝椅子で紫煙をくゆらせながら思索するハンナの姿で絵が消え「“悪”という問題に、ハンナは何度も立ち返った。そして、死の間際まで、これに取り組んだのである」という字幕で終わる。
◆その字幕の通り、『責任と判断』(筑摩書房)には、この映画で描かれている『イェルサレムのアイヒマン』がまきおこした嵐のような批判を受けて書かれた「独裁体制でのもとでの個人の責任」が収載されている。彼女の、悪についての思考は続いていたのだ。
この本は、愛読してきた『アーレント=ハイデガー往復書簡』(みすず書房)とともに、繰り返し読むだろうと思う(デンマークがナチスに非暴力の行動で抵抗した逸話を、この本で知った)。
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書簡集は、ハンナ・アーレントとハイデガーの50年にわたる時間です。
その間に、大戦も亡命も映画に描かれていたこともあったのです。
長い道、蜜月も悪路もある長い坂ですね。
小林多喜二や伊藤整の通った小樽の坂は、そのきつさから地獄坂と呼ばれたそうです。考え続けることも坂をのぼるようですね。きついけど、のぼりきれば、視野がひらけ道筋が見通せる。
考え続けることで強くなりたいと思います。
なにも持たない非力な人間でも考え続けることはできるはずですから。