3月も早、二度目の週末。
今年は、お正月を病院で迎えたこともあって、新しい年という実感に乏しくて、それがもう3月って、脅威です。
一年の目標もたてないうちに春って・・・(笑)。
2月はブログも書いてませんね。
(これからはせめて、月にひとつは書こうと思います。)
おとなしくしていた2月ですが、何もしていなかったわけではなく、よく食べよく眠り、そうそう「游人」の原稿なども書いていました。
ネットで見つけたかわいいこけし「ねむりえじこ」も買いました。
高さ4センチの一寸法師みたいな小さなこけしですが、とても丁寧に作られています。
円いえじこにはいってる童の身体も首も回るんですよ。
福島のこけしです。
津軽や道南では「えんつこ」と呼ばれている揺り籠が、福島では「えじこ」と言うのですね。
嬰児籠がつづまったのでしょうか。
東北のこけしは愛らしいです。
東北と言えば、先週末、新幹線「はやぶさ」で岩手の北上市に行ってきました。
北海道新幹線に乗るのは初めてでした。
海底トンネルを潜る電車が「はやぶさ」という名か、鳥が飛ぶとはかぎらんか、なんてひとり馬鹿なことを「おもうまもなく~♪」津軽ですわ。
速いっ!
青函連絡船で4時間、波に揺られて青森の長い連絡通路を渡って上野駅の列車に乗り込み上京した世代としては、驚きですね。
函館から新函館北斗駅→盛岡で乗り換え→北上まで3時間ちょっと、函館―札幌間より早いんですものね。
* * *
北上市へは日本現代詩歌文学館で開催される、映画『幻を見るひと 京都の吉増剛造』と映画をプロデュースされた詩人の城戸朱理さんと吉増さんのトークショーを観に訪れました。
とても大きなすばらしい文学館でした。
シアターは240席? わが町の映画館より広いのです。
たくさんの方が県内外からいらしていて、ロビーの相席では、松濤美術館での吉増剛造展には二度行ったとか、うらやましいようなお話も伺いました。
映画は、美しい映像と日本語と英語のナレーションが印象的でした。
琵琶湖に匹敵するほどの水を抱えた京都、貴船(気生根)、古木、瀧、天井画の龍、川端康成の「みずうみ」の黒い瞳。詩人の感受と感応が映っていました。
惑星に水の木が立つ
この京都の旅から生れた詩篇のタイトルでした。
とてもいろんなことを感じたし、考えました。発見もありました。
むかしむかし、吉増さんからいただいた手紙、住所の「滝」という字は「瀧」と書かれていました。ブラジルからの手紙もそうでした。滝が水の龍だと気づかされたものです。詩人は字を書きながら絵を描いている。
まっこと、一字にも時と景と心を籠める詩人ってなんて難儀で厄介ですてきな人種でしょうか。
映画の中で詩人が、一生を詩を書くことですり減らしたというような主旨のことを言ったとき、西条八十の「蝶」という詩の一節が浮かびました。
一生を
子供のように、さみしく
これを追ってゐました、と。
詩人の孤独。その、さみしく「震える心」がジョナス・メカスさんへの強いシンパシーだったのでしょう。
映画上映後、城戸朱理さんと吉増剛造さんのトークがありましたが、最初に先日亡くなられたメカスさんのインタビュー映像が流れて、それが初見だという吉増さんは見入っていました。
映画でわたしがいちばん印象的だったのは、詩人が「水の舌」「a tongue of water」と繰り返すところでした。
tongueがhangをよびました。かさなりました。
昨年10月に、函館で「詩人 吉増剛造の旅」というトークイヴェントを行ないました。その2部での対話で、吉増さんは前々夜マリリアさんが歌われたという「絵馬」の話しをされました。
is there any room
in this sky to hang this EMA
この絵馬を吊る余地が
この空にあるかしら
長編詩「絵馬」の一節です。
そして、気がついたのです。
舌も絵馬も、めくれる、裏返せることを。
昨年末発行した「恒河沙」2の特集に、「火を運ぶ舟 ― 『火ノ刺繍』という遡河」という小文を書きました。
そこに、『前登志夫歌集』(詩集『宇宙驛』の問い合わせをしたわたしに、それが収められている歌集が北海道立図書館にあると教えてくれたのは、だれあろう日本現代詩歌文学館でした!)の附録にあった吉増剛造の文中から、「石狩シーツ」の謎についての私見を述べました。
“そう、この「めくれる」が鍵だと思う。”と。
水の舌!
吉増剛造は、水にも「一頁かその裏ページ」をみているのか。
空に吊る絵馬にも。
そんなことを思ったのでした。
すてきな機会と気づきをあたえてくださった(なんと無料で!)、日本現代詩歌文学館に感謝します!
東北の地にこんなすばらしい文学館があること、うれしいです!