今朝は風の音で目覚めました。
強い風!
まだ6時前でしたが朝刊が届いていました。
毎朝楽しみにしている桐野夏生さんの連載小説「とめどなく囁く」を読もうと開いたら
第51回北海道新聞文学賞の発表が大きく載っていました。
詩集部門は本賞・藤田民子さん「少女の家」
佳作・草野理恵子さん「黄色い木馬/レタス」
佳作・土橋芳美さん「痛みのペンリウク 囚われのアイヌ人骨」
創作・評論部門は本賞・沓沢久里さん「通天閣の消えた町」
でした。
詩部門の藤田民子さん「少女の家」は納得の受賞。
詩集をご恵贈いただいたときから、確信しておりました。
わたしの「砂州をこえて-佐藤泰志『海炭市叙景』論」は、創作・評論部門の最終候補に残ったものの落選したことは先月初旬には知っていました。が、北海道出身で同世代の川村湊さんや久間十義さんに読んでいただけると喜んでいました。
が、そのお二人の選評で私の作品は「単なるファンの思いつきのような論旨で批評になっていなかった」「独りよがりの感が」と酷評されていました。
がーん。
寝直そうとベッドに戻りましたが、眠れたもんじゃない(笑)。
出さなきゃよかった(泣)。
炊きあがり6時半にセットしていた炊飯器が鳴ったので、気を取り直し、起きて着替え、仏壇に御飯をあげてコーヒーを淹れました。
それから、なんで、ショックなのか考えました。
お二人の言われていることは自分でも思っていること。
これが評論だろうか、「海炭市叙景」へ寄せる想いを綴ったエッセイとか感想文ではないのかと思って。
でも、だからこそ、ふだん評論なんて堅苦しくて読めない、読まないという人も「一気に読みました」と言ってくれたんだと思って。
「思いつき」? 確かに思いつきからはじまっての旅です。
では、なぜショック?
一つ、私の作品を読まない人が選評だけ読むから、か
一つ、筆名ではなく本名だから、か
きっと、そういうことです。
これが互いに作品を読んでいる合評会での酷評なら、平気だったのでは?
義母やご近所さんや高文連の生徒たちが読む道内殆どの家庭で購読されている新聞紙上だったからでは?
筆名にすれば良かった(苦笑)。
へたれです。
自分の弱さに更にがっくりしているところへ
O市の歌人・濱田棟人さんが慰めのツイートを送ってくれました。
勝海舟の「行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張、我に与らす我に関せずと存候」です(笑)。
なんて、ありがたいこと。
泣けてきます。
心を強くしてあらためて選評を読むと
お二人とも「期待」して読んだのに、とありました。川村氏は「佐藤泰志はもっともっと深く掘りさげられるべき作家・作品であると思う。」と。
そうか、私は故郷であり映画にも関わった「海炭市叙景」への愛と問いであったけれど、選者は「佐藤の思想や生き方をもっと追求してほしい」(選考経過)のだ。
「砂州をこえて~」で佐藤泰志から卒業し、次へ進もうと思っていたけれど、これでは卒業できないよ、ということなのかもしれない。
慣れない散文修行の、これがはじまりなのか。
ちょっとしょっぱい朝です。