きょうは節分
朝日新聞の鷲田清一さん「折々のことば」も、それにあわせてでしょう
福は内 鬼も内
でした。
「創造者というものは一種の鬼を自分の中にもっていなかったならばすぐれた仕事はできない」梅原猛さんの「老耄と哲学」からのことばだそうです。
鬼!
すぐれた仕事とはほど遠いでしょうが、鬼はわたしの詩によく登場します。
春に出る詩誌に一昨日送った詩(「奔る春」)にもいました。
なにしろ、もう25年前になる第一詩集のタイトルが『鬼捲り』です。
(『おにめくり』と読みますが、ルビをふらなかったので図書館や文学館には『オニマクリ』と記名されています。笑)
鬼捲り
ねむりのむこうに
鬼の住む島があって
いっぴきづつ
夜を泳いでくるんだ
あか鬼あお鬼しろ鬼くろ鬼き鬼だいだい鬼むらさき鬼みどり鬼もも鬼
いろ いろいろ
よこしまたてじまみずたまはんてんかすりやがすりまあぶるちえっく
さま さまざま
めざめたら魁てご対面
たべられる前に鬼をたべる
いちにちかかって鬼をたべる
いちねんにさんびゃくとろくじゅうごたべる
たべないと目をつむれない
たべないと日をめくれない
せっせとたべる
甘味酸味苦味塩味美味不味しちみ
無味いちみ
きれいにおいしくたべた日はきもちがいい
いやいやむりむりたべた日はいやな夢をみる
なかにはとげとげの鬼もいて
くちじゅう血だらけにしてたべたこともある
いつかなんて
どうしてもツノが噛み砕けなかったから
おもいきり呑みこんだら
おちていきながら斬りつけていった
いまでもどうかすると胸のあたりがしくしくいたむんだけど
他人(ひと)には見えないところだからぐっとがまんする
いたいいたいなんていったらいうたびに風がしみるだけだもの
そんなこんなでもう
いちまんよんせんからの鬼をたべたかんじょう
(1991年2月発行 詩集『鬼捲り』より)
この詩は札幌の詩人・原子修さん選詩、羅興典さん譯注で中国語で出版された『日本北海道當代詩人佳作集』に収められているのですが、タイトルは「吃鬼」となっていて、不思議な感じがしたものでした。
日々のことばにも時として鬼がいて、ツノやキバに戦いたり傷ついたり。
でも、きのう、わたしの詩集『陸繋砂州』の点字本を読まれた方からお手紙を頂きました。壮瞥町の方で、点字で感想を綴ってくださってました。点字図書館に届いたのが点訳グループに届き、会の方がそれを送って下さったのでした。点訳本の感想が届くのは珍しいことです、とお手紙が添えられていました。
うれしいです。
昨年末にも未知のかたから詩集を読みましたと感想とご自分の作品を送っていただきました。
あてどない詩作を細々と続けてきて、こんな反応をいただき恐縮しつつも励まされます。
柄にもなく、がんばろうと思います(照)。
【追記】『鬼捲り』は前述したように25年前の古い詩集ですが、流通にも乗せず、人にも殆どあげなかったのでたくさん残っています。もし読んでみたいという奇特な方がおられましたら、ツイッターにDMくだされば、差し上げます。