「わたくし」の採用 ー 久谷雉詩集『影法師』 

☃陽が射しているのに雪がふっています。
青森の詩人・泉谷明さんの詩「日は降る雪をのぼってきた」を思い出します。
詩集名でもある数十年前に読んだ詩行が背表紙とともによぎります。
手にしたときの本の質感や重さなど電子本とは違う紙の本ならではの記憶も。
 
❐久谷雉さんの『影法師』(ミッドナイト・プレス)という詩集を読みました。
詩集は贈って頂くことが多いですが、今回は購入しました。
いつもは感想は、ご恵贈くださった方への礼状に二言三言そえているのですが、あら、今回はだれに告げよう(笑)。
そういえば、ブログに詩集の感想を載せたことが殆どないと気づいた次第。
ちょっと記しておきましょう。
 
✍細長い変形版の造本というだけでなく、いろいろ特異な点がありました。
●一篇の詩は、奇数頁にタイトルで一頁つかっています。
一篇一篇、扉をあけるように詩をひらいて読むのです。一篇一篇です。どんな短いものでもです。贅沢な紙の使い方と言えるでしょう。でも存在するものは大きくても小さくても一つ一つに影があるのだから、そして影があることを贅沢とは言わないのだからとも思うのでした。
 
●全篇、旧仮名遣い(歴史的仮名遣い)で書かれています。
それが気になる作品と気にならない作品がありました。
「咲かない花」は気にならなくて、かつ好きな作品でしたが、気にならないから好きなのか、好きだから気にならないのかは判然としません。
気になったのは「骨よりもながく」でした。
「おほきな死」「ちひさな死」という語が頻出するのです。「ゐ」や「ゑ」の文字は気にならないのですが、hoやhiやhe、oやiやeと読むのだと了解していても「おhおきな死」「ちhいさな死」hが椅子の裏を留めてるホッチキスみたいに視えるのでした。そのhが、「螢の光~」と卒業式の練習で歌ってるつもりのわれらに「おたるのひかりじゃねぇぞ~」と教師の声が飛ぶ昔日を惹起するしで(笑)。
まあ、hは気になるけど、「骨よりもながく」は上手い作品です。さりげないリフレインの効果といい、若いのに練達の詩人です。
 
鏡の中の惑星を
一日かけてみがくやうに、
ちひさな死との握手をくりかえす、
それだけだ、
それだけだ、
ちひさな死を摘み
ちひさな死へと渡る瞬間
足首の腱をはしるこはゞりが、
わたくしの骨よりもながく
この地上に息づくのを夢みること、
たゞ、それだけだ。
おやすみなさい、
おほきな死よ。
           (「骨よりもながく」後半)
 
●「わたくし」という一人称
仮名遣い以上に、この詩集を特徴づけるものは、この「わたくし」の採用だと感じています。
全二十篇のほとんどは「わたくし」という一人称で書かれています(「おれ」というのが短い詩にひとつありました)。
日本語の一人称にはいろいろあります。私、僕、儂、俺、我、などなど。
どれを使うかで大体の性別や年代も推察できます。もちろん、オレ・ワシという年配の女性もいますし、ボクという少女もいますが。
「わたくし」と日常使う人も全くいないわけではないでしょうが、とくに男性の場合は公的な場での使用という印象です(寅さんの挨拶も含め)。それと、短歌などの文語的表現と。
久谷さんも日常、私や僕や俺を使っているのをSNSで確認しています(笑)。
この詩の「わたくし」は、敢えての「わたくし」なのです。公の私。
 
●では、なぜに「旧仮名遣い」で「わたくし」なのか
久谷さんには壮大な企図があるのだとわたしは思うのです。
わたしが今回、久谷さんの詩集を読みたいと思ったのは、「現代詩手帖」の特集「川田絢音の詩」で、久谷さんが書かれていた『「あなた」から「母」へ』に感動したからだったのですが、その文章は旧仮名遣いではなかったです。
旧仮名遣いも「わたくし」も、この詩集のためなのでしょう。
時間というフィルターと「わたくし」という遠い私。
この詩集は奥付を隠せば年代不詳です。
五十年前百年前に書かれたものです、と言っても通ると思うのです。
「シュプレヒコールの始まった/議事堂前から離れて」(「家鴨の町」)という詩行がありますが、それが21世紀とはかぎらない感じなのですよ。
「わたくしの骨よりもながく/この地上に息づく」詩
そんな想いを詩集名にも感じます。
『影法師』という詩集名と同名の作品はこの詩集にはありません。
「北限のあかし」という作品中に「しぐれた硝子戸を、全身ではこぶ/村人たちの影法師も、/まぶたをぼんやりよごしてゆく。」という詩行があります。
影法師。ひかりがあたってうつる影。
大きくも小さくも、濃くも淡くも、伸びたり歪んだり消えたりもする影法師。
想いを貫くために久谷さんは、この詩集での旧仮名遣いと「わたくし」を徹底させたと思います。詩集の太い帯には「えっ!?」という表記がありますが、作品中には感嘆符も疑問符も、促音も拗音もないのです。
 
二言三言のつもりが長くなりました。
そろそろ、終わりにします。
こうして書いてみると、薄い詩集なのに、読後の感想は分厚いです。
印象的だった「鏡」のことも書きたかったのですが……ひとことだけ。
「鏡」という具体と象徴。道具だったり世間だったり。心だったり影だったり。ひずんだりくもったりも。002
 
 
 

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