✎つらい夏です。
2日、十代からの友の死という悲しい報せ
6日朝にはオウム真理教の教祖と元幹部ら7名の死刑執行、夕には西日本の大雨という不穏で不安な7月の幕開けになりました。
7日夜から8日朝、西日本の豪雨被害はsnsに流れる当事者からの救援要請や映像に震えました。
被害の甚大さにおののきます。
災禍に遭われた方がたの心身のご回復と平安が一日も早く訪れることをお祈りします。
✎7月7日 七夕の午後、唐牛墓前祭へ行って参りました。
3年前に病を得て、墓前祭からは足が遠のいていたのですが、今年は昨秋亡くなられた真喜子夫人の納骨があるということでしたので参加しました。
あいにくの雨にもかかわらず、例年以上の参加者でした。
傘が並ぶなか、高橋公さんの司会で始まりました。
最初の挨拶は篠原浩一郎さん。
晴れ女の真喜子さんなのに今日はこんな雨、彼女を悼んで慟哭しているのかもしれない、と話されました。
数年前の墓前祭で篠原さんは、唐牛は青空のような男だったと仰っていたことを思い出します。
比類なき棺のような墓石をデザインされた秋山祐徳太子さん。
お年を召されてもチャーミングです。
主治医の堂園晴彦さんからは
発病(唐牛と同じ癌でした)から経過、最期のとき、堂園さんしか知らないことを時系列で報告してくださいました。
最期まで、真喜子さんらしく朗らかに楽しく(お酒も!)過ごされたというお話に、聞いている参列者の中から安堵のような笑いも生まれました。
鈴木邦男さんは大雨の岡山から来られたということでした。
右翼とよばれる鈴木さんですが、唐牛は右とか左とか超えた存在だと話されました。
全国から集まった参列者全員で献杯!
昨年まではその中心にいた真喜子さんは
今年は健太郎の側になりました。
✎泉康子さんは手作りの冊子を皆さんに配りました。
「唐牛二人函館に帰る」と題した表紙に健太郎・真喜子の写真を配し、中には8年前の函館での唐牛健太郎展2010のメモリアルブックからの抜粋、そして裏表紙にご自身の詩を掲載。
その詩を読まれました。
私達は今日、みんな遺族になった。
そのことばが胸にしみました。
2日に亡くなった私の級友の実家は、唐牛少年の住む家の地主でした。
ある嵐のあと、唐牛少年は落ちた栗の実を抱えて地主の友の家を訪ねたといいます。栗の木は地主の家の木だからと。そんな純な少年の姿を幼なかった友がずっと覚えていて、唐牛展のイべントでも語ってくれたものでした。
✎毎年は献杯の後も、さまざまに語り合って墓前で過ごすのですが、昨日は雨の中さすがに寒く、早めに散会。私はお参りしてここで失礼しましたが、みなさんは夜の懇親会でゆっくり語り合ったことでしょう。
いつも墓所の草取りや墓前祭の準備をされている陳有崎さんと昌子さん
陳さんは冊子の手記で、「これからも年一回、亡者も集う夏に草刈りして、追悼したいと考えています。」と書いていました。
唐牛健太郎夫妻は幸せだなあと思います。
山に抱かれ、海を望み、鳥が鳴き、花が咲き、良き友に恵まれて。
それもこれも、唐牛の「結果の総てについて他人の所為にすることのなかった見事な、唐牛でなければ出来ない生き方」(金子隆さん)が多くの人を魅了するからなのでしょう。
✎追記
私達は今日、みんな遺族になった。
そのことばは、せつないけれど私を慰める。
「岸辺の旅」の
死んだ人のいない家はない
と同じように。