奔る春

昨日、大道寺将司の訃報に空を見上げました。
「この世からの離陸」
読み終えたばかりの小説『離陸』(絲山秋子著)の言葉を呟いて。
 
先月の札幌・豊平館の〈pw連詩組と北の仲間たち〉で、わたしは昨年書いた「奔る春」という詩を朗読しました。
 
こぶしの花が三階の窓まで伸びて
白を咲いている
雪の白とは違う炎(ひ)を宿した濃い白 冬中ためてた息を一気に噴きあげたような乳白の花は
塊という字が魂に似ていることを思い出させる、鬼がいる
病院の中庭で丈たかくのぼってくる春の魁
点滴に繋がれている間に季節は変わっていたんだね
枕辺のジヴァゴ、早緑若緑老緑とりどりの緑が被うロシアの分厚い時間を読み終える前に
 
キタコブシ
確定死刑囚の近況を伝える通信が、そんな名だった
釧路の春も辛夷からはじまるのか
空に突き上げる無垢の拳
夜明けの早いまちで育ったその男の春もそうだったはずだ一途に
革命という希望、革命という幻滅、革命という博愛、革命という酷薄、革命という疾病、革命という劇薬
 
北方の透徹と反骨 青年の正義と傲岸
かつて特高資料の三十一文字の系図の頂きに夭逝した歌人の名があった
すでに死んでいる歌人が北海道民を危険思想に誘うと 悲しき玩具と称した男の三行が、だ
啄木の没した年齢と同じ二十六歳で囚われた狼の十七音は卒塔婆のように立つ一行
刹那の虹と永劫の罪
無謬のものなどない だれの生も、恋も、
砂山の錆びた拳銃(ピストル)よ 雪に散ったナナカマドの実よ
 
木の花の
葉に先立って咲く窓で
陽は昇り季は巡る
野生の枝の強靱も老いゆく鬼も狼も
待ち伏せするシ、を
生きて

 


 
 
 
 
 
 
 
 
懇親会で宮尾節子さんに、「奔る春」にはパステルナーク・石川啄木・大道寺将司ら三人の北方の詩人・歌人・俳人のことを書いたこと、「狼」大道寺の大罪は決して赦されるものではないけれど、彼は釧路出身で中学校の同級生にはチカップ美恵子さんなどアイヌの人がいて彼らが虐げられ差別されていることを見ていたことなどを話したのでした。
このブログでは、2011年12月18日に‘映画『歩く、人』と緒形拳さんのことなど’というタイトルで少し大道寺にも触れています。
そこで、彼の母親への想いや彼の句も記しています。
 
 小六月童女の如き母なりけり
 青簾向かうに若き母の居て
 
その「母」と同じ五月に旅立ったのですね。
 

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