映画「海辺のリア」を観ました。
観終わってから時間が経ったのに、まだその余韻の中にいます。
言いたいことがいっぱいあるのですが、泣きそうになったりと冷静でないのです(笑)。
何から言えばいいのか。
そう、まず映画を観る前のことから(そう、そう、落ち着け、順番に)。
このフライヤーの仲代達矢さん、小林政広監督に似てると思いませんか?
これを最初に見たときびっくりしました。年齢も体型もずいぶん違うはずなのに、とても似ていたから。
表情でしょうか。
仲代達矢の貌に小林政広がいる!
仲代さんが小林監督とタッグを組むのは三作目。さらに映画の他に仲代さん主演のテレビ時代劇での脚本や舞台の演出を小林監督が手がけるなど、お二人の紡いできたものの強さが、この表情に顕れているのかもしれないと見るたびに思いました。
さて、「海辺のリア」です。
粗筋をかいつまんで言うと、かつて大スターだった桑畑兆吉は今や認知症の疑いがある老人。娘や娘婿、娘の愛人たちに入れられた高級老人ホームを抜け出し、海辺をひたすら歩くなかで、自分が追い出した伸子(妻ではない女に生ませた孫ほども違う娘)に再会。伸子に「リア王」の娘・コーディーリアの幻影を視て・・・
という映画です。「リア王」にある不倫や裏切りや勘当や狂気を取り入れながら、大スターで俳優養成所主宰など仲代達矢本人と重なる要素、そして現在は高齢者の5人に1人が罹っているという認知症を取り込んでの仲代達矢のためにあるような映画。そして、その仲代達矢の渾身の演技。圧倒されます。
砂浜のシーンが殆どでした。
それが個人的にとても印象的でした。
ちょうど夏に出す「恒河沙」という小さな冊子に載せる「砂の上、砂の下」という詩を書いたところでした。
砂の下には砂がありピストルや匕首や太郎が埋まっている、砂の上が歩きづらいのは無量無辺の時空の深さに足を取られるから、とかなんとか不穏な詩です(笑)。
砂州の街に住むわたしにとって、砂浜は好き以上のものです。
子どもの頃、暗くなるまで遊んだ広い砂浜は、今では海が防波堤のすぐ傍まで迫って往時の面影はありません。
それが映画の砂浜は広くて美しくてどこまでも続いて見惚れました。
砂の上が老優の舞台でした。
光る海を背負って熱演する桑畑兆吉と仲代達矢が溶けあい一身となって陶然とするさまは圧巻でした。
「リア王」とも、仲代達矢の主人公が死して終わる小林監督との前二作「春との旅」「日本の悲劇」とも違って、今作は仲代達矢は生き返ります。愛によって。
その感動をもたらすのは、「春との旅」と同じく伸子。
「春との旅」では血のつながらない牧場の女性との心通うシーンがとても好きでした。頑固で憎まれ口を叩く老人が、その心きれいな伸子の言葉に善きものをひきだされたような優しい表情になって。
その場面は仲代さんも印象深いのか、つい最近のインタビューで、ご自身の貧乏だったころ他人に助けてもらったことにつなげて、こう仰っていました。
それが、「春との旅」のラストに共通しています。最後に、血のつながりのない牧場の若い奥さんが親切な言葉をかけてくれる。あれが救いです。
(『婦人公論』6/13号)
今作でも、最後に伸子に救われます。
「春との旅」の伸子と境遇も言葉遣いも違うコーディーリア伸子ですが、二人の伸子には共通することがあります。
それは、失ったものがあるということ。
牧場の伸子は片親の家庭で育ち、片耳は聴力を失っていました。
海辺の伸子は母に捨てられ父に追い出され子どもを奪われています。
そうした傷を負った者の哀しみを小林監督はいつも見つめていると感じます。
映画のなか、寄せては返る波の音に想起した「バッシング」もそうでした。
仲代達矢さんのことばかり書きましたが、他の出演者の存在感もすごかったです。
伸子役の黒木華さんは、これまで観たふんわりやわらかい女性とはずいぶん違っていました。
長女の夫で兆吉の弟子だった行男の阿部寛さんも力演でした。砂浜を追いかけ連れ戻し、また追いかけ。徒労のような、砂の上で。伸子と行夫は結局、天使と戦士だと思ってテンシとセンシは1音しか違わないと気づいたり。
悪役の娘、原田三枝子さんは冷たくも美しい。その横顔に、わたしの街で撮影されている「きみの鳥はうたえる」を見学した際の石橋静河さんの横顔が重なりました。
小林薫さんはまた、「春との旅」や「海炭市叙景」や「深夜食堂」の役柄とはずいぶん違います。たった一言だけ発して、なに、あのかっこよさ。
あの一言、流行るんじゃないでしょうか。
ワルい奴らに向かって、キメてみたいです(笑)
長くなりました。いつまでも語れそうですが、そろそろ終わります。
仲代達矢さんの砂の上の熱演、ぜひ多くの人に観てほしいです!