節分ですが寒い日が続いています。
なにやかや忙しかったのと、寒さで動きも鈍くなってブログも久しぶりです。
先日、『中学生までに読んでおきたい日本文学4』(全10巻)「お金物語」の点訳校正をしました。
谷崎潤一郎や太宰治などの小品だけれど優れた作品とともに
林芙美子の「清貧の書」も入っていました。
「清貧の書」は、林芙美子が流行作家になる前の、3番目の夫との貧しい日々を書いたものです。
それまでの二階借りから一軒家への引っ越しから始まるのですが、
お金の無さは半端じゃなく、鯉の地獄壺(入れたら割らなければ出せない貯金箱)を割って
その日のお米を買いに行く、帯も質に出して近所の子に、どうして帯しないのかと訊かれて、帯をすると頭が痛くなるからと答えるような生活です。
それでも、絵描きの夫は、前の二人と違って暴力をふるわないし、妻を思い遣ってもくれるので、荒んではいません。
過去や肉親のこと、夫の良いところも悪いところも書いてあって、作家ってすごいものだなあ、と思いましたね。
だって、発表されたら夫も読むでしょうから。
ここまで裸にならなければ、人に感銘など与えられないのかもしれませんが。ちょっと戦慄を覚えます。
なかに夫の絵をけなすところがあって、その率直さにうなずきもしました。
わたしも、彼の絵をいいとは思わなかったのです。
一昨年、新宿区にある林芙美子記念館を訪れました。
映画『海炭市叙景』の初号試写会で上京した折りのことです。
林芙美子がモデルの『ナニカアル』という桐野夏生の小説を読んで、そこに書かれている家に興味を持ったのです。
現在は記念館として保存されていることを知り、試写会の翌日行ってみました。
新宿区中井駅から少し歩いた住宅街にある記念館は緑に囲まれた、とてもすてきな建物です。
『ナニカアル』で書かれていたことが甦って、芙美子一家が住んでいたことを実感しました。
写真の左手にはアトリエもあって、夫や芙美子の絵がありました。
絵描きの夫の絵には、芙美子が感じたと同様、魅力を感じず写真も撮りませんでした。
一方、絵描きではない芙美子の絵には、巧拙ではなく生命力というか力強さを感じました。
桐野夏生が編んだ『我等、同じ船に乗り 心に残る物語-日本文学秀作編』には
林芙美子の「骨」が入っています。
「清貧の書」には地獄壺という貯金箱が出てきますが
「骨」は、戦死した夫の空の骨壺に躰を売って得た金を貯める女性が主人公です。
林芙美子も桐野夏生も、すごい小説家だと思います。
その強さが好きです。
わたしには無いものだからでしょう。