今夜(23日)はドキュメンタリー映画「書くことの重さ~作家 佐藤泰志」の函館試写会でした。
関係者・協力者のみへの案内ということで、知った顔が並びました。
上映前に稲塚秀孝監督のご挨拶がありました。
稲塚監督は、苫小牧の出身で、佐藤泰志の一歳下です。
ご自身も入選した「第5回有島青少年文芸賞」の発表で佐藤泰志を知りました。
入選作は主催の北海道新聞に掲載されるのですが、佐藤泰志の作品は掲載されませんでした。
「最優秀作であるという強い意見が『有島青少年文芸賞』の性格からいって、ためらわれたのが惜しい」と選評に記した故・澤田誠一氏は、その作品(「市街戦の中のジャズメン」のち改題し「市街戦のジャズメン」)を『北方文芸』に掲載したのでした。
稲塚少年は、それを読んで「こんなすごい文章を書く高校生がいるのか」と驚いたと言います。
(わたしもそうでした。)
このたび 半世紀近く前のかすかな「出会い」を基に記録映画を作りました。「思い」が籠もっていると確信しています。
(稲塚秀孝 「ごあいさつ」より)
映画は、【第一章 きみの鳥はうたえる】【第二章 多感な青春】【第三章 作家への道】【第四章 海炭市叙景】の四章からなり、再現ドラマと証言とで構成されています。
語りは仲代達矢さんと、母親役も演じた加藤登紀子さん。
映画の冒頭から、仲代さんのすばらしい語りに魅了されます。
佐藤泰志本人の映像もありますが、佐藤を演じた方は無名塾の役者さんだそうです。風貌も似ていて違和感なく観ました。
映画では、佐藤泰志が獲れなかった芥川賞の選考会にかなりの時間を割いています。
佐藤泰志が五度候補にのぼった期間中八回の半分以上が該当作なし、というのは、芥川賞の歴史の中でも類がないそうです。
以前、川本三郎さんも仰っていましたが、勝手に候補にあげておいて、ハイ落選というのはこたえるものだと思います。
それが何度も続いたのですから・・
泰志の同級生・教師、編集者の証言に胸をうたれます。
はじめて知ったこともありました。
映画「海炭市叙景」にも言葉を寄せてくれた堀江敏幸さんの「文学は肉体労働だ、身を削って書く」という言葉も忘れられません。
佐藤泰志は賞には恵まれませんでしたが、人には恵まれていたのではないでしょうか。
生前も死後も。
映画は、九月末から道内では函館シネマ・アイリス、札幌シアターキノ、苫小牧シネマトーラスの三館での上映が決まっていて、全国でも二十五館決まっているそうです。
佐藤泰志の読者、また、読者でなくとも、一人の人間が少年時からの作家への志を遂げるべく生きた時間と時代に興味のある方に観ていただけたらと思います。
「・・・実は僕は函館に生まれ、20歳まで暮らした。両親は戦後からずっと真夜中の連絡船で青森へ行き、闇米を何俵も担ぎ朝の連絡船でトンボ返りし、朝市で売りさばいて生活の糧としてきた。北海道は寒冷地で米の品質が悪く、かつぎ屋という言葉が死語となってからも、この商売はすたれることがなく、30年近く連絡船を自ら生活の場としてきた。大学入学のために上京した僕は、時々両親の職業を尋ねられ、いささかの誇りを持って闇米のかつぎ屋だ、と応えたものだが、一体いつの話をしているのだとあきれたような顔をされるのが落ちで、自分でうんざりすることがしばしばあった。」
(佐藤泰志「青函連絡船のこと」より)