4月、あたらしい気持ちで

 
昨日は啄木忌でした。
102年前の1912年4月13日に石川啄木は亡くなっています。
26歳、早い、早すぎる死です。
でも、死後も、というか死後いっそう啄木は読まれれつづけています。
一昨日、函館でドナルド・キーンさんによる講演もありました。
詩誌の例会日で行け001ませんでしたが、翌朝の函館新聞でキーンさんが歌人・詩人としての啄木について語り、「日記こそ日本文学の最高傑作」「日記に書かれた啄木は過去の人物に思えない。ユーモアには現代人ならではの皮肉がある」「最も愛した街は函館だった」と述べられていたと読みました。
 
 
 
 
啄木が函館に住んだのは、5月から8月までの4ヶ月足らずでしたが、一族のお墓もあり、とても縁が深いです。
函館の大森浜を歌った短歌もあります。
その短歌たちは「砂」がとても印象的です。
歌集のタイトルにもなった『一握の砂』は次の歌から採ったのでしょう。
 
頬につたふ
なみだのごわず
一握の砂を示しし人を忘れず
 
それから
 
いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指のあひだより落つ
 
啄木にとって砂は零れる情熱だったでしょうか、時間だったでしょうか。
短い、まるで一握の砂のような啄木の漂泊の人生で、悲しき玩具だった彼の短歌は、しかし百年を生きています。
大森浜は砂も浜も減り、もはや啄木が腹這った砂山はおろか、わたしが子どもだった頃の砂浜もありませんが、海岸線の弧は昔のままです。
その浜と函館山の麓が繋がる立待岬に眠る啄木一族のお墓にも、この春の陽光が降りそそいでいることでしょう。
 
 
久しぶりにブログを書きました。
しかも、月曜日の午後!
所属している点字ボランティアの例会が火曜日なので、毎週月曜日はメール添付のチェックや翌日持参する点訳や校正などでオオワラワなのですが、きょうはのんびり。
それは、Windows XPのサポートが終了したためなのです。
会員の中にXPを使用されている方が数人いるため、OSの変更がすむまで当分の間データはメール添付ではなくフロッピーやUSBメモリーでやりとりすることになったのです。
作業の量は同じなのですが、精神的にはずいぶん違います。
というのも、依頼で点訳しているレシピや文芸は週末に原稿が届くので日・月が勝負だったのです。
メールでのやりとりができないのは不便なのですが、物事には一長一短あるものですね、その不便が月曜日のゆとりをもたらしてくれました(嬉)。
新年度ですね。
新しい気持ちで日々を過ごしたいです。
明日の総会後に使用するクジを折り紙で作りました。
当たりは3/32です(と言っても、賞品が当たるわけじゃなく、ある係なので、外れて嬉しいクジです-笑)
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