きょうはとてもいい天気でした。
春日向。洗濯物もよく乾きました。
水仙の黄色がまだ寂しい庭を照らして。
月のはじめは雪も降ったのに、北の4月はすっかり冬を脱いだようです。
日向といえば、先日、佐藤日和太さんから句集『ひなた』を戴きました。
新書版サイズのかわいらしい造本です。
カヴァー表紙画もやさしい色合い。
(創風社出版 1200円+税)
これが第一句集だそうです。
著者の修士論文の指導教官でもあったという坪内稔典さんが愛情あふれる文章を寄せています。
あっ、と思った。何をかというと、この佐藤日和太句集の目次である。一学期、二学期、三学期という三章に作品がまとめられているのだが、多くの句集では春、夏、秋、冬の四季に分けられている。それがいわば句集の常識だが、日和太はさっとその常識を破っている。あっ、と思った後で、私は「日和太、やるな!」とつぶやいた。 (坪内稔典「朱欒との頬ずり」より)
章立てで想像がついたと思いますが、佐藤日和太さんは学校関係者、函館の高校の国語教師なのです。
そして、前にこのブログでも紹介した句集『肋木』の杉野一博さんの主宰されている「艀」の会員でもあります。
「一学期」から一句をひいてみます。
砂山に銃痕探す啄木忌
これは、啄木の「いたく錆びしピストル出でぬ/砂山の/砂を指もて堀りてありしに」を念頭において詠まれたのでしょう。
砂山、啄木、というのが、佐藤さんのもう一面を浮かび上がらせて印象的でした。
句集名の「ひなた」は、俳号の「日和太(ひなた)」から。
佐藤さんを以前から存じ上げていましたが、俳号を知らなかったので、句集で知って、ハッとしました。
著者は夭折の歌人・砂山影二の研究者でもあるからです。
佐藤さんとは、ここ数年、高文連の集まりで顔を合わせていますが、そもそも彼を知ったのが、砂山影二関連でした。
「はこだてルネサンスの会」で発行した文学ガイド『函館文学散歩』(2007年)で、砂山影二の項を担当してくれたのです。
また、ルネサンスの会の第8回自主講座でも、砂山影二について話してくれました。
石川啄木に心酔し、19歳で連絡船から津軽海峡に身を投げた砂山影二のことは、立待岬に歌碑があることぐらいしか知りませんでしたから、その短歌や生い立ち最期のことまで詳しく教えていただき、丁寧な資料と共に、有意義な講座でした。
わがいのちこの海峡の浪の間に消ゆる日を想ふ-岬に立ちて (砂山影二『坊ちゃんの歌集』巻頭歌)
実際の佐藤センセイは、身体も声も大きくて、第一印象は国語教師というより体育教師のようでした(笑)。
砂山影二の研究者というのが意外に感じたものです。
佐藤さんは明るくおおらか、ほんとうに日向のようなお人柄なのです。
でも、そこがおもしろいところですね。
このたび、俳号が「日和太」と知って、これは影二と対をなす名だと思いました。
ひなたとかげ。生きるということは、そのふたつながらに在るということ、負うということかもしれません。
「あとがき」によれば、坪内氏との出会いは、砂山影二の論文をまとめるために佛教大学の通信制大学院で学び直したことからだそうです。
佐藤さんの真面目さ、前向きさ。その向日性は「ひなた」の名にふさわしいなと思います。
ひょっこりとのぞく廊下の音や春
少年の首太くなる夏の果て
居眠りとストーブ並べ江差駅
(佐藤日和太『ひなた』より)