8月も今日で終わり!
すっかり涼しくなって、夜は虫たちの競演が果てもなく♪
あいかわらず慌ただしく過ごしていて、ブログも1ヶ月のご無沙汰です。
急いで、ひとつ詩のワークショップのことを書き記しておこうと思います。
市内の高校の夏休みが終わって直ぐの21・22日に北海道高文連の文芸道南支部大会がありました。
主題は「詩のことば」
1日目は、ワークショップと講演会
2日目は、分科会(小説・評論、詩、短歌、俳句)と青春海峡文学賞授賞式
例年は、事前の詩の審査と2日目の参加だけなのですが、今年はワークショップの「詩を書こう」の講師でもあったので両日の参加でした。
(1日目は、ワークショップの前に開会式があり、当番校の市立函館高校の校長先生がお話されるのですが、開始前に控え室でご挨拶したら、息子2を知ってるとのことで、びっくりしました。
校長先生は吹奏楽の先生なのです!世間は狭いですね。)
ワークショップは午前中の2時間。
2部にわけて、前半を詩についてと詩作品の鑑賞、小休憩を挿んで、後半は実作と朗読に。
詩作品は吉野弘の「生命は」中原中也の「帰郷」をとりあげ、みんなにも朗読してもらいました。
◆「生命は」
高校生に「生命は」の大事だと思う語や詩句を挙げてもらいました。
「誰かのための」「世界は多分/他者の総和」「生命は/その中に欠如を抱き」「ばらまかれている者同士」「無関心でいられる間柄」「虻」「風」等々、ほとんどの詩行にあるのです。
この詩が、もうどこも削ることのできない凝縮されたものなのだと、高校生たちと一緒にあらためて確認しました。
吉野弘は、このかたちになるまで4回も書き直していること、推敲の大切さなども伝えました。
「生命は」は是枝裕和監督の『空気人形』という映画で朗読されていることや、園子温の『恋の罪』には田村隆一の「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」という「帰途」の詩行が引用されていること、クリント・イーストウッド監督の『ミリオンダラー・ベイビー』にはイェーツ、と映画にあらわれる詩の話もしました。
詩が多くの芸術家に影響を与えていること、詩に触発された人たちのつくる作品によって、詩を読まない人も詩の恩恵を受けていることも力説(笑)。
◆「帰郷」
中原中也は、高校生にも馴染みのある作品の多い詩人です。
「汚れっちまった悲しみに」「サーカス」「骨」などは、教科書に掲載もされていると国語担当の佐藤先生に伺いました。
ただ「帰郷」はあまり知らないようで、今回この作品にしてよかったと思います。
中也はわたしにとって、とても思い出深い詩人です。
高校生の時、初めて書店に注文したのが中也全集の1でした。
旧仮名遣いなので、先ずわたしが朗読し、高校生たちにも、この詩の連表記(連が通常のと行頭が下げてある連)にあわせて男子女子で交互に読んでもらいました。
そして1行ずつ解説や感想を聞きながら、中也の詩の音楽性や愁(かなし)みを味わいました。
最終連の
あゝ おまへはなにをして来たのだと・・・
吹き来る風が私に云ふ
は、中也の詩を読まなくなってから何十年経っても忘れることなく、多くの人に聴こえてくる詩行だという話などをしました。
◆詩を書こう
後半は、テーマ ①他者 ②痛み のどちらかを選んで実作。
時間内に完成は無理だけど最低2行は書いてくださいね、と言ったのですが、なんと全員しっかり書き上げていて驚きました。
①他者グループと②痛みグループに朗読してもらいました。
連詩ではないし、作風も違うのですが、同じ高校生が書いていることと前半の一緒の朗読体験もあるせいか、響きあうものがあってとても感動的でした。
まさに「世界は多分/他者の総和」でした!
うれしかったのは、ひとりも白紙だったり朗読を嫌がったりしていないことでした。
ワークショップは分科会と違って、参加校の文芸部員全員で、詩の応募者だけではないのにです。
とても真摯に、集中して取り組んでくれました。
感激しました。
今回、ワークショップと分科会、2日間高校生たちに詩の魅力や、詩を読む・書く歓びを伝えようとして、自分が本当に詩が好きなことを再認識しました。
そして久しぶりに詩を書きたくなりました。
思いがけない収穫でした。
吉野弘や中原中也、そしてなにより高校生たちに感謝です!