すっかり秋ですね。
19日は十五夜、中秋の名月でした。
その数日前から、きれいなきれいな月で見とれていました。
夜中ずっと虫も鳴いています。
月の光を誰より浴びているのは、この虫さんたちでしょうね。
映画『日本の悲劇』を観てから、この映画のレビューや記事、ツイッターでの感想などが気になり、チェックしている自分がいます。
小林監督はもとより、出演された仲代達矢さんや北村一輝さんのメディアでの発言なども、ほとんど見てるのではないでしょうか。
若い人向けの雑誌に仲代さんのインタビューが載ってたときは、立ち読みだけのつもりが、仲代さんがあまりにかっこよくて購入してしまいましたし(笑)。
先日も書店で手に取った雑誌を購入しました。
その『中央公論』10月号の特集“60歳からの「働く」と「生きる」”に仲代さんの記事があったからです。
6ページにわたる記事で、仲代さんは60年の役者人生と『日本の悲劇』について語っていました。
とても感銘を受けました。
いくつか、印象深いことばを記しておきますね。
太字部分は「定年のない役者が引き際を考えるとき」からの引用です。
◆生き様と死に様を見せる
仲代さんは、役者にはどうしても世間の評価によって生きる部分があるけれど、70歳を過ぎて肩の荷が下りたようになったといいます。
もちろん『日本の悲劇』もうまくやろうとは思っています。思っているけれども、姑息なことはしない。堂々と撮ってください、という心持ちです。この先はない、という自由さ。わかりにくいかもしれませんが、もういいんですよ(笑)。それほど、六〇年間、いわば寝ずにやってきたとも言えます。
我々役者というものはお客さんに、さまざまな生き方と死に方を見せるものだと思っています。もちろん、エンターテインメントに徹した、若い人が飛びつくような作品があってもいいし、アニメにも素晴らしい作品がありますが、僕は役者という仕事は生きるということ、死ぬということにつながるものでありたいと思うのです。みんな死ぬのが怖いから、楽しいもの、お笑いといったもので誤魔化そうとします。でも、時には死を直視しなければなりませんし、この映画は「直視せよ」と言っていると思う。
◆文化とは戦うもの
僕は文化というものは戦うものだと思っています。たとえば、新劇というものは基本的に抵抗から始まっている。左翼的かどうかは別にして、少数派であっても、異端であっても、世の中の流れと違ったことを言わないと、一人の権力者によって世界が滅茶苦茶になっていくことがある。こんなことを言うべきではないかもしれませんが、最近の日本では映画会社ではなく、どこかの企業かテレビ局がお金を出して映画が作られるケースが増えていて、そのせいか、現体制への抵抗を示す作品が撮りにくくなっているようです。-(略)- とにかくお客さんを集めよう、お客さんが好むだろうという企画ばかりが立てられる。そういうなかで、小林政広監督は実に頑張っている。
ああ、とめどなく引用したくなります。
反骨心と、自分より若い才能への愛情と敬意を感じます。
こんなカッコイイ80歳に誰でもなれるわけはないでしょうが、心持ちは近づくことができるかもしれない。
勇気が湧いてきます。