「童話・チェホフの夏」の大工と泰志

✍4月も今日で終わり、あわてて久しぶりのブログです。
ご無沙汰中に読んだ本や観た映画のことなど書きたいことはたくさんあるのですが、それらはまたいつかの機会ということで、4月の備忘録だけ取り急ぎ。

1日に、小樽の詩人・高橋明子さんが来函されて、木田澄子さんとお会いしました。あとりゑ・クレールというギャラリーをされている高橋さんの希望で、函館在住の版画家・佐藤国男さんの山猫工房に3人でお邪魔しました。
佐藤国男さんは原子力発電所の反対活動などにも熱心に取り組まれています。わたしも元気な頃は、彼の絵が描かれたTシャツで大間原発反対デモに参加したものです。当日は、上着の下にそのシャツを着て行きました。

佐藤国男さんは縄文土器にも詳しくて、いろいろ勉強になりました。
帰りがけには、バル街で演奏されるギターの腕前も披露してくれ、楽しい時間を過ごしました。

そのあと体調を崩して入院していました。
入院中は絶食と点滴。
食べる楽しみがないのはつまらないですね。
受診の検査で入院が決まったので、本も持ちこまないままでしたが、バッグに入っていた「海炭市叙景」を再読したりしていました。

22日に退院してきたら、「饗宴」主宰の瀬戸正昭さんから北海道文学館での特別展「佐藤泰志の場所(トポス)」(4/23~6/19)のチラシと招待券が届いていました。
瀬戸さんには北海道詩人協会でもお世話になっているのですが、数年前に「饗宴」の「特集 土地の名、土地の精霊Ⅱ」に声をかけていただき「砂州の街で-佐藤泰志のこと(函館)」という文章を書きました。そのことを憶えていてくれてのご厚意です。

また、佐藤泰志の評伝を書かれている中澤雄大さんからお電話をいただきました。翌日のオープニングに行かれるということでした。中澤さんは昨年の函館文学館主催の福間健二さん講演会にもいらしてくださいました。彼の文章は河出書房新社の「佐藤泰志 生の輝きを求めつづけた作家」に掲載された評伝抄にもあらわれていますが、とても丁寧な取材と心のこもった筆致です。なにより、佐藤泰志という作家への愛情があります。評伝の完成が楽しみです。

札幌の松中洋子さんとも話しました。
彼女は佐藤泰志が死の1週間前に出したハガキの名宛人です。
オープニングに参加した彼女は、文学館が作製した「休暇」佐藤泰志未収録作品選を送ってくれました。4/26、泰志の誕生日に届きました。未読の作品でしたので、ありがたく、うれしかったです。

この作品選は佐藤泰志展の資料集でもあって、巻末に資料のリストが載っています。
それを読んで、あっと驚きました。
佐藤泰志の書簡に佐藤国男さん宛のものがあったのです。
どういうことでしょう、なにもかもが泰志に繋がっていく。
1981年3月頃、とあります。
泰志が函館に戻っていた頃です。その時期に佐藤国男さんの展覧会を訪れたのでしょうか。
そして、作品選の「チェホフの夏」(「贋エスキモー」第3号 1981年8月)を読んで確信しました。
作品の主人公の大工は佐藤国男さんがモデルだと。
佐藤国男さんは、大工の傍ら宮沢賢治の作品を彫りつづけた版画作家です。

泰志は大工の仕事をしながら、独自の世界を作っていく佐藤国男さんに自らを重ねたのではないでしょうか。職業訓練校で建築の勉強を開始する時期です、自分も大工をしながら書きつづけていこうと。

北海道文学館での「佐藤泰志の場所」展、資料集を眺めているだけでも、その充実ぶりがうかがえます。開催中にぜったい行きたい、行こう!

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